「謙遜」と「責任逃れ・自己満足」の紙一重の違い

謙虚 ビジネスどうも、ゆうきんです。

今回は「謙遜」と「責任逃れ・自己満足」の紙一重の違いについてお話しします。

この記事を参考にして、「謙虚」であることと「責任逃れ・自己満足」の違いについて考えてみてください。


日本には謙遜する、謙虚になるという言葉があるように、
日本においては自分を卑下して表現することが多々あります。


そのような姿勢は「腰が低い」と言われ日本では美とされています。


しかし、僕は謙遜と責任逃れ・自己満足は紙一重だと思っていますし、
安易に謙虚になるには危険であって逃げの姿勢だとも思っています。


例えば、Facebookなどを見ていると、


「微力ながらシェアさせていただきます」


というコメントを見る時があります。


意図として、何かどうしてもSNSでシェアしたいと感じる投稿があるときに、
多くの人に拡散できる媒体力や実力がある人が「微力ながら」というのは
その人のGIVEする姿勢や感謝の気持ちが現れていて素晴しいことだと思います。


ただし、もしその人に拡散できる力がないとしたらどうでしょうか。


拡散する媒体力や力がない人が「微力ながら」と言えば正にその通りで、
謙遜しているというより「自分は力がないからどうしようもできないけど」
と言っているようにも聞こえてしまいます。


それ自体は善でも悪でもないと思っていますが、
気になるのは上辺だけでそう言ったりする場合です。


中には他の意図(自己の利益のため等)を隠し、
そのような発言をする人も見受けられます。


自己の利益を隠して綺麗ごとだけを言う人は
気付かぬうちにその腹の内を読まれて周りの人を敵に回しやすいですし、
そういう人はここでは置いておくとして、上辺だけの発言もどうなのでしょうか。


僕には、それが本当に日本人としての美なのかは疑問を感じてしまいます。


その人に拡散する媒体力も実力もないのであれば、
拡散する媒体力や実力をしっかり培っていくべきです。


微力だと思っているのであれば、全力で拡散すべきなのです。


にもかかわらず上辺だけで「微力ながら」とだけ言っているのでは、

「そう言っておけば印象が良いから」
「微力って言っておけば責任はとれないもんね」


と言っているようにも聞こえてしまうのは僕だけでしょうか。


もしも、


「微力ながら全力でお手伝いしよう、GIVEしよう」


と思っているのであれば素晴らしい姿勢だと思いますが、
言葉面だけを整えておこうとしているのであればマイナスの印象を受けがちです。


言葉面だけを整えておこうとする姿勢は、周りの人に見透かされてしまいます。


それは、責任逃れや自己満足の姿勢の発現に他なりません。


今はまだ微力だと思っているのであれば、
「微力ながら全力でシェアさせていただきます」が正しい表現ですし、
中身が真っ黒やスカスカでなく鮮やかな色の発言であるべきだと思っています。


もしかしたら、「微力ながらシェアさせていただきます」にも、
「全力で」という意味が隠れている場合もあるかもしれません。


そうであれば、それはもちろん賞賛に値する姿勢だと思います。


ただしその意味を含んでいるのであれば、「全力で」に相応しい対応をして、
しっかりと一人一人ができる道を模索し行動していくべきだと思っています。


もちろん、

心が揺さぶれれて、「微力ながら」と言ってしまう場合もあると思いますし、
日本人の「常識」としては何らおかしいことでも不思議なことでもありません。


僕がここで伝えたいことは、言葉面だけ体裁を整えておこうとするのではなく、
中身があってこその発言をすべきだということです。


たしかに謙虚になることは美しいですし、インターネットビジネスで成功する前に、
日本人として、一人の人として「謙虚さ」を持ち続けてほしいなとは思っています。


しかし、本当に必要なのは言葉面だけの謙虚さだけではなくて、
その言葉に見合った、心からの行動や姿勢ではないでしょうか。

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