どうも、ゆうきんです。

この記事は2013年3月7日に作成した記事です。

色々考えることがあってその後は数年間非公開にしていましたが、2017年になった今だからこそ再公開したいと思います。


と言っても、何年も前に書いているだけあって今見ると内容はありません。苦笑

その変わり、伝わる文章とは何か?について
少しだけ大切なことが書かれているかと思っています。

ぜひ、読んでみてください。

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最近は毎日、おばあちゃんが入院している病院に看病に行っています。

おばあちゃんは先月に余命が一ヶ月と宣告されて、
もう少しで一ヶ月が経とうとしています。

今日は、そのおばあちゃんからもらった手紙について、
少し書いてみようかなと。

もともと僕は子供の時からおばあちゃんに色々と可愛がってもらっていて、
大学で田舎から大阪に出て来てひとり暮らしをはじめてから、
おばあちゃんはときど手書きの手紙を送ってくるようになりました。

僕は一度も返信を書いたことがありませんでしたが、
それでも二ヶ月に一回か、三ヶ月に一度くらいは手紙を送ってきて、
お小遣いなんかも入っていたりしました。

大学生のころには、
「バイトもしててもう子供じゃないから、お小遣いとか送らんくても大丈夫よ」
と何度言っても、
5千円か1万円程度のお小遣い入りで手紙を送ってくるおばあちゃん。

手紙の内容も、いつも短文で、
「風邪をひかずに、元気で、体に気をつけてね。」や、
「野菜は食べていますか?ばあちゃんは今年も風邪をひかず元気です。」
などなど、最近の近況が書かれているだけの手紙や、
僕の体の心配をするメールがほとんど。

内容もほとんどなく、当然何か教育をしようとしたり、
ダイレクトコピーのように、誰かの傷口をえぐるコピーでもない。

それにもかかわらず、おばあちゃんからの手紙は
どんなダイレクトコピーよりも突き刺さるものがある。
僕の心にズバッと入ってきて、貫通するのでなく、
心の中にとどまり、体の中で永遠に木霊(こだま)しはじめる。

例え、短文で内容がなくても。

他の電車内の広告や、テレビの宣伝、新聞や雑誌の広告、
SNSでのダイレクトメールや、メルマガ、
こういうものは殆どが心に届くことなく、
もし届いたとしても、決して体の中で木霊することはない。

結局ほとんどのコピーは、心のなかに留まること無く消えてしまう。

人の心には決して届かず、届いた場合も、心に穴があいているように、
スっと右から左に流れていく。

それは決して、僕らの心が不感症なのではなく、
発信に使われるコピーがそこに留まる性質のものでないから。

簡単に言えば、そのコピーには心がない。

最近頻繁にいただく質問として、
「発信することがない」
「ブログを書くと言っても何を書けばいいか分からない」
「なにをどうアウトプットすればいいか分からない」
という質問。

たしかに、インプットで蓄積されている知識がなければ、
何かを発信することは難しいし、
アウトプットすると言っても何もアウトプットはできないだろう。

無から有は生み出せないし、
結局は有をどれだけ他の有に作り変えるかに尽きる。

しかし、それだけは決して十分に伝わらない。

多くの人はこれが分かっていない。

どれだけ上手いコピーを書こうとしても、
不釣合いなブランド品で身を着飾っているような若者と同じで、
伝えたい中身がなく、形ばかり囚われたコピーになる。

そんなコピーが相手に伝わることがないのはもちろん、
心の中で魂と調和し、木霊することは決してない。

もちろん、前提として、
最低限の基本的な知識は必要だ。

最低限の知識をインプットするために、
僕が提供してる企画やコミュニティに参加してほしいとは思うけど、
そこで環境を手に入れて学んでもまだ何を発信すればいいか分からない。
って人もいるかもしれない。

そんな人には、おばあちゃんからの手紙を思い浮かべて欲しい。

おばあちゃんの手紙は、内容なんかはほとんどないし、
知識を与えるものでもない。

でも、心には突き刺さり、ずっと心の中で木霊し続ける。
文面からは、おばあちゃんが命を削ってペンを握り、
手が震えて字が震えているのが伝わる。

一文一文、一文字一文字、
おばあちゃんが心から伝えたいことが聞こえるような・・・
そんな手紙になっている。

本当に伝えたい、心の叫びを伝える。
心の奥底から、魂の中から湧き出てくるような、
そんな言葉が発信されている。

どれだけ綺麗で論理的で美しい文章よりも、
下手で短くて内容がない文章でも心に突き刺さる。

心のある文章。

それは、自然いっぱいの山の中で、
思いっきり大きな声で叫び続けることに似ていると思う。

自然いっぱいの山の中で、
大きな声で、心の叫びを、
魂の叫びを発信すれば、
それは遠くまで何度も何度も木霊する。

知識がある人もない人も
コピーライティングのスキルを磨きたいのであれば、
おばあちゃんの手紙が参考になる。

どんな上手い文章よりも読者に伝わり
心に深くしみる文章になるだろう。

2013.3/7 ゆうきん

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僕のおばあちゃんは、孫である僕のことを大切に思い、
飾らない言葉で想いを込めて手紙を書いてくれたのでしょう。
そうであれば、どれだけ短い一文からも伝わるものがあります。

コピーライティングのテクニックをふんだんに散りばめた
大御所のライターが書いたメルマガやレターなんかよりも、
たった一つの小さな言葉の方が心に深く刺さったりもします。

それも、何も知らない素人のたった一つの言葉でも、です。

そこには想いがあり、魂があり、心がこもっています。

それこそが、何かを伝えるために忘れてはいけないこと。


当たり前と言えば当たり前なのですが、
コピーライティングを学んでいると
ついつい忘れがちになってしまうこと。

コピーライティングを使いこなせるようになると、
テクニックで全て解決できてしまうと感じることがあるでしょう。

感情と向き合わずテクニックだけ使い文章を書いても、
当たり前のようにどんな商品でも売れてしまいます。

まるでロボットに対して文章を書いて売っているようです。

どんな高額な商品もカンタンに売れてしまいますし、
プロモーションで1000万円、5000万円、1億と・・・
自由にどれだけでも利益を上げることもできてしまいます。

そういう人にこそ、今回のお話を思い出してほしいです。

コピーライティングも、そして稼ぐことも素晴らしいことだからこそ、
ふとした瞬間に思い出してほしいなと思っています。


僕から学び最前線で活躍しているクライアントさんはもちろんのこと、
僕自身、プロモーションで毎年報酬が右肩上がりになっているからこそ、
現在、そして未来の自分に対するメッセージの意味も込めています。


テクニックを学び、そして使えるようになった人こそ、
文章を読んで下さる人を想い、心を込めることを大切にすること。

読む人がどれだけ増えて、お客さんがどれだけ増えたとしてもです。

コピーライターとして表立って数年活動し続けてきて
コピーの良いところも悪いところも見てきた今だからこそ、
この重要性を再確認することができたのだと思っています。

あなたが何か文章を書いたその先には、
その文書を読んでくださる一人の読者さんが必ずいます。

決して、どうでも良い人間でもロボットでもありません。

あなたと全く同じで・・・家族がいたり、大切な人もいる一人の人間なのです。

おばあちゃんの手紙は、僕を初心に戻らせてくれて、
ビジネスにおける大切なことを再確認させてくれる宝物です。